私たちが高校時代、1学年上の日本一といえば鎮西高校だった。
決勝の大商大高戦は、昔のビデオテープと呼ばれるものに録画をして、昼食時間は先生に許可をもらい、おそらく理科室だったと思うがテレビとビデオを借りて毎日のように仲間とみてた。
同世代のトップクラスのプレイにこんなプレイができるようになりたい、こんなチームを目指したいと語り、あーでもないこーでもないと言いながら、時にはバレー部じゃないメンバーも一緒に見ながらこいつらすげーな、バレースゲーなと言い昼食を食べてた。
身長175cmというバレー界では小者の自分も、当時の鎮西のエースのダイナミックなフォームから無双状態のバックアタックやレフトからのインナー、ストレート、ワンタッチとその打ち分けをスローにして何度も何度も見ながら練習でまねをして、足りない身長をジャンプ力で補うため、日々練習後に筋トレやランニングしたのを思い出す。
おかげでこの程度までのプレイヤーとして成長できたのは間違いない。
その全国トップクラスの監督さんが、亡くなったというニュースが入ってきた。
たくさんの全日本の代表選手を輩出、またビーチでも活躍する教え子もいた。
もちろん、春高もインターハイも出たことがない私は、監督さんとの接点は全くないが、教え子の鎮西高校出身のプレイヤーと何度か試合をしたり、雑談したのをふと思い出した。
間違いなく、全国の高校バレー、そして日本のバレーボール界をけん引してきた監督さんの訃報に悲しさと寂しさと懐かしさと今の自分があることへの感謝を感じた。
安らかにという気持ちと、鎮西、春高頑張れという気持ち、そして川内商工ももっと頑張れと思った今朝でした。