2012年10月25日木曜日

親として,指導者として考えさせられる。

新聞を読んでいると,大先輩で尊敬する人の投稿した文章が載っていたので掲載します。



             我が母校生徒の行動を称賛する
 
教育現場で発生する事件・事件に関して,問題が起きるたびに報道機関を通じて,評論家やコメンテーターなどのいわゆる専門家といわれる方々が評論しているが,その解決策をいくら述べても次から次へと問題が発生している現状にある。

 先般,母校城中の体育祭が小雨の中開催され,恒例の応援席として集落別のテントも設営されていた。

 翌日の夕方いつものように運動広場となっている校庭を散歩の途中,集落の保護者がひとりでテントの片づけに来た。ちょうど部活動をしていた生徒全員が練習を中断し,走って来て,テントの骨組み等を軽トラックに運び入れ,そして「ご苦労様です。」「失礼します。」と言い残し,全速力で戻り,野球の練習を再開した。

 日頃の部活動中もグラウンドに人が来たら,遠いところからでも直立不動の姿勢で「こんにちは!」のあいさつが飛んでくる。練習の邪魔になるのではと,こちらが心配になる。

 「あいさつ・返事・聞く話す態度・迅速な行動・大きな声を出す」など,マナーや人としてのあり方を含め,日頃からその指導力に感銘を受けていたところであり,生徒達が自らこのような好感あふれる行動ができるように指導された顧問の先生に対し,感謝の念でいっぱいになった。

先生は,野球の技術能力を伸ばすことも大事だが,まず,人間としての規律・規範意識の確立が第一であると語っており,部員は少ないものの「全身全霊」で生徒たちをけん引し,練習終了後は,自らも生徒と一緒になって,グラウンドを整備する姿に畏敬の念を抱いてきた。

城中は他の部活動でもこのような光景が見られるようになった。このように,先生の背中を見て育っている子ども達が率先して思いきり自分の気持ちを素直にさらけ出す姿に将来「リーダー」としての資質を垣間見る思いであった。

 家族関係の希薄化に起因する家庭の教育力の低下が言われるが,しつけを含め教育の原点は家庭にあることは,御承知のとおりであり,決して学校側にのみ依存すべきものではないし,学校は,人間形成に必要な知を得るという教育の場であり,しつけやマナーは家庭の役割であろうが,今やこれらについても学校への依存心が高い保護者が多いのは残念である。

子どもをいつまでも親が世話をすることはできない相談である。いずれ親元を巣立ち,職場や社会の難しい人間関係の渦の中で自らの力で生きていかなければならない運命にある。

 和泊町の研修センターで,宿泊学習や大会参加などで宿泊する子ども達と接する機会が多々ありますが,自分ができるものは自ら進んで「持ちましょう!運びましょう!」「自分がやります!」という思いやりの行動力や規範意識の高さは,やはり部活動をしている子ども達に多いと感じている。

 今年の夏休みには,鹿児島市から東谷山中女子バレー部の生徒が合宿に来たが,生徒の「あいさつ・掃除・マナー・自ら考える行動力」には,感嘆の極みであった。

 顧問が依然和泊中学校で勤務していたので,知人の関係にあり,協議の指導面はもちろん生きる力にもっとも必要なマナーでも相変わらずの指導力の高さに先生次第というと思いと「文化」でも「運動」どちらでも「部活動」の必要性を感じていたところである。

一緒に目標を持って活動することで,人間関係の構築等仲間づくりにも大きな期待を持っている。ここからはいじめ問題は発生しないものと考えている。

 以前の経験から,部活動などに対し,異論を唱える教師もおり,一生懸命,部活動の指導に取り組んでいる教師の足を引っ張る先生もいることから,学校職員間のパワーゲームも心配である。

 また,学校を信頼できないペアレントモンスターと言われる事例も耳にすることが増えてきているのも気になる。

 頑張る先生の心がおれないように!保護者や地域の方々も学校に関心を寄せ,見守ってほしいものである。

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